真っ赤に染まったこの身体を抱きしめられた後、何時も必ずあの夢を見る ―――



 狂った兄が物言えぬ兄弟を目の前に哂ったあの日。



 『これで剛は俺のものだ』



 そう言って哂った彼の横顔は今でも鮮明に脳裏に瞼に蘇る。



 廃屋と化した研究所で幸せに暮らしていたはずだったのに。



 一瞬にしてその廃屋は真っ赤な部屋へと姿を変えた。












closing eyes〜瞳を閉じて〜

15:翳 四











カチャリ と拳銃の音だけが部屋に響く。

いつもは賑やかな部屋が、途轍もなく冷たく静かだった。



「さぁ。次はユミ。お前の番だよ?」



部屋の中央をハルカは拳銃片手に歩く。

その瞳の中には狂気の炎。もはや”次男”のハルカはそこにいなかった。

「リュウ兄ぃっ!!起きてよぉっ!!」

所々傷を負ったユミが血だらけで倒れているリュウを揺さぶる。

それでもリュウは浅い呼吸を繰り返すばかりで、声を上げることすらかなわなかった。

そこへハルカが靴音を響かせながら近づく。




コツン ――― 




ユミの後頭部に冷たい銃器が押付けられた。

「……は…ハルカ兄……何で、リュウ兄起きないの?ねぇ…何でユミたちを苛めるの?…ハルカ兄ぃ…」

「ハルカっ!!もうやめぇ……ユミもリュウも関係あらへんやんか!ここの家族皆!関係あらへんっ!!!」

すでに打ち抜かれた右足を引き摺って剛はカオリを抱きしめる。

そして自分の掌で銃口を押さえると、悲痛な面持ちで叫んだ。

「僕はもうハルカのもんになる!!何処にでも一緒にいく!!やから…もう僕の家族を傷つけんといて。」

震えるユミの身体を抱きしめて、剛はハルカを睨みつけた。


カチャリ ――


ハルカは銃口を下へ下げる。

予測できないハルカの行動に剛はユミを抱きしめる腕をより一層強くした。




剛とユミ以外のもの全員が床にその身体を沈めている。




生きているのか、死んでいるのか分からない。確かめに行くことも出来ない……。


細い銃身から飛び出る小さな弾に幼い弟たちは言葉を発する間もなく倒れ、リュウは全身を打ち抜かれた。

剛とユミの母親役であるリクも壁際で俯いたまま、細い腕から大量の血を流している。

部屋は真っ赤な家族の血液で染まり、鉄錆の匂いに包まれていた。


剛は唇を噛んで小さく呻く。


何度も身体を張ってハルカを止めようとして…打ち抜かれた右足から出血が絶えない。

その失血量に剛は意識が遠のくのを感じ、傷を床に軽く打ち付けて、痛みで意識を覚醒させた。

腕の中ではユミがまだ震えている。


ハルカの最後のターゲットは”悠美”


何としてでも悠美だけは護ろうと、剛は薄らぐ意識の中、ハルカを見据えた。

その時


バンッッ!!


「かはっ!!」

「ツヨシちゃんっ!!??」

剛の身体は蹴り上げられ、跳ね飛ばされた。

全身を床に強かに打ちつけ、息が詰まる。

コツコツと靴音が近づいてきたかと思うと、ハルカは剛の髪を掴み無理矢理顔を上げさせた。

そして切れた口の端から流れている剛の血を舐め取る。

「っ!?」

刺すような痛みに剛は顔を顰めるとハルカを振り払った。

威嚇するような、それでも恐れを隠せない剛の瞳にハルカは口角を上げる。

持っていた拳銃を剛の頭に近づけると、カチリと小さく音を立てた。

「ツヨシ……君にはとても赤が似合う。その肌を髪を全てを美しく彩っているよ…この赤が。」

銃口で剛の口から流れている血を辿ると、ハルカはもう一度笑って剛を突き飛ばした。

出血と何度も頭を打ち付けたことにより、剛の意識に霞が掛かる。


「ツヨシ…ちゃん…」


小さく聴こえたその声に剛は消えかけた意識を強引に戻した。

眼の端に映る、今にも引き金を引きそうなハルカに恐怖で動けない悠美。

何度身体を動かそうとしても、一度意識を失いかけた身体はもう限界を訴え、指先さえも動かない。

悲鳴を上げる内臓に鞭打って、剛は叫んだ。

「ハルカぁっ!!!」

名前を呼んだだけで、肺の中すべてが熱く焼け爛れたような感覚に陥る。

剛はその痛みさえも振りきって、叫んだ。

「何でも言うこと聞くから!ユミは殺さんといて!!薬も飲む!ハルカに僕の全部やるから!!ユミは…ユミは助けたって!」

言い終わると同時に剛は激しく咳き込み、呼吸を荒くした。


カチャ と小さく拳銃が啼いて、ハルカが再び銃を下ろす。


そして剛の方へと振り向くと、『ホントだな?』と問うた。


剛は小さく頷く。









ハルカはユミから銃口を外して拳銃を懐に直すと、動けない剛を抱き上げて、微笑んだ。

『これで剛は俺のものだ』

ハルカの言葉を朦朧とする意識の中で受け止めて、剛は瞳を閉じた。




そして次に眼が覚めたときには




古ぼけた何時もの天井ではなく、真っ白なセメントの天井を見上げていた。




ハルカに抱かれるたび、強くなった薬の副作用で気を失うたび、見上げるこの天井と同じ。












もう、帰れない ――――――


























































 









光一の拳で歪んだドラム缶は、裏路地の砂埃に混じってゆらゆらと揺らめいた。

 リクから、リュウから聞いた話は全て偽りの世界に生きる本物。

 「この話も全部…嘘やって言うてや……また笑うてよ…剛。」

 その嘆きのような願いも砂埃に混じって揺らめく。










 「あ〜あ、これ器物破損だろ。置いてあるものだからって勝手に壊したりしちゃいけないんだぜ?光一。」

 おどけたように言う長瀬を光一は目線を上げることだけで見て、すぐに目をそらした。

 長瀬は日本刀を腰からぶら下げたまま、ドラム缶の歪みを撫でる。

 

 互いに何も言わず、沈黙だけが二人の間を埋める。



 ふと、長瀬が口を開いた。


 「剛が今一番望んでるものって…何だろうな。」


 風に触れるたびに日本刀が啼く。


 長瀬の声は静かに、ほの暗い路地に響いた。


 「両親がいっぺんに死んで、折角見つけた身内に売られて、その中で唯一手に入れることが出来た家族も壊れて…。

 挙句の果てには薬で操作されてE.P.になって。もうそろそろ……望みの一つや二つ叶えてあげても罰は当たらないだろ。

 なぁ。光一?」


 投げかけられた言葉に光一は顔を上げた。



 長瀬は微笑んで、光一を見る。




 「お前も剛も……そろそろ素直にならないとな。いい加減、潮時だと思うよ?」


 「……」


 「ホントにさ。二人とも鈍過ぎなんだよねぇ。あの頃もいっつも二人でラブラブ光線出してるくせにさぁ。

 ”友達だ〜”なんて。全然説得力の欠片もないって。」


 「…俺は」


 「あの屋上もなくなった。屋上から見える景色もなくなった。世界は変わって、平和な時代でもなくなった。

 それでも、剛はあの時のまんまだったじゃん。あの黒髪も、でっかい目も。そりゃあまあ少しは変わってたけど。

 俺たちと別れる前のあいつと同じだった。俺たちを癒してくれる、あいつのまま。」


 

 光一の頭の中で


 昔の剛と今の剛が重なり合う。


 光一の知っている昔の剛の笑った表情、怒った表情、涙を流す彼の表情 ―――


 光一の知らない今の剛の虚ろな瞳、獲物を捕らえたような表情、そして

 




涙を流す彼の変わらない表情 ―――
 






 「唯一一致する表情が泣き顔ってのも哀しくねぇ?どうせならさ、ここはやっぱ笑顔で確かめるべきっしょ?」


 そう言って長瀬は昔と全く変わらない笑顔を浮かべた。






 「剛の笑顔……見に行こうぜ?また3人で笑い合おうよ。」






 屋上で見上げた空とは色が違う、それでも変わらない笑顔で再び ―――






 座り込む光一の目の前に差し出された長瀬の掌。

























砂埃が吹いて、小さく終わりを告げた。
























パシンッ


光一が長瀬の掌を叩く。


そして光一は『よいっしょ』と立ち上がると、スタスタと歩き始めた。


「ちょ!光一どこ行くんだよっ!!」


 叩き落とされた手を摩りながら長瀬は過ぎ行く光一を振り返った。


すると光一も振り返り、笑う。
















 「どこって。剛のとこに決まっとるやん。」
















光一の笑顔もまた昔と変わらない ――― 迷いのない瞳に鋭い光














 「いつもはあいつが屋上に来てたからな。今度は俺らが迎えに行ってやらんとあかんやろ。あいつすぐ拗ねるし。」

 「光一」

 「悠と玲、あいつらも連れてくで。久々に大暴れしたい気分やねん。すっきりしたいわ。」


 大きく伸びをして光一は言う。


 薄暗かった路地に微かな光が入る。


 粒子を集めたような光は光一の茶色がかった髪を透かし、彼に降り注いだ。


 「ま、お前らが邪魔せんって言うんなら、次は俺と剛とおまけ3人で暮らしてもええかもな。」

 「ちょっと待て!俺たちはおまけかよっ!?」

 「んなんあたりまえやろ。お前が素直になれって言うたんやで?それに」







 光一はシニカルに笑う。








 堂本光一のその笑顔で。














 「俺、好きなもんは全部傍に置いとかんと気ぃすまんからな。力ずくでも俺のもんにしたるわ。」
































 動き出す。絡み合う。




 奪うもの ― ただひとつ











    ――― 求めるものは 彼の笑顔     欲するものは 彼の全て ―――
























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