屋上で見る君の横顔は何よりも綺麗だった。

校庭の新緑よりも、渡り廊下に掛かる桜吹雪よりも

教室の窓から柔らかく降り注ぐ、朝の光よりも ―――



ずっとずっと言えなかった。

ずっとずっと言わなかった。

まさかそんな全てが僕の目の前から消え去ってしまうとは思っていなかったから。

ずっとずっと続くものだと思ってたから。



でも



たとえ目の前から全てが消えても僕はこの気持ちだけは棄てずに生きようと思ってた。

これは本当。

次に君に逢った時に『棄ててしまわなければよかったって』そんな馬鹿げた後悔しないように。

まさか”棄ててしまわないと、君を殺してしまう”なんてことになるとは思わなかったから。






何度も何度も忘れようとした。

何度も何度も忘れた。

でも

何度も何度も思い出した。

身体で心で頭で ――― 憶えていた。

初めて忘れられないことに後悔した。

棄ててしまわなかった過去に涙が出た。



けど



忘れなくてよかった。

棄ててしまわなくてよかった。

身体で心で頭で ――― 憶えててよかった。






ほら。だって初めて君に伝えることが出来る。

僕は変わってしまったけど、

僕の気持ちは変わらないから。

忘れていないから。

棄てていないから。





これが僕たちの始まりの言葉になりますように ―――














closing eys〜瞳を閉じて〜

23(最終話):瞳を閉じて………

















変わらない荒野。

長いと思っていた時間は、数えてみるとそう長くもなくて

再び光一たちが黄色い砂を踏んだ時の景色は

この砂を蹴り上げてセメントに足を踏み入れる前と何も変わってはいなかった。


相変わらず草木1本さえ見つけることが難しい土地。

今でも風に乗って聞こえる人々の叫び声。

一日一日、確実に崩れていく廃屋の壁。

そして

壁の女神も健在だった ―――

痛いくらいに 何も変わらない。
































四角い石の前、光一は立っていた。

石にはナイフで彫った白い文字。

さらさらと石の埋められている地面が崩れていくけれど、石は動かなかった。

それはただ単に石が重い所為なのか、それとも刻まれている名前の重さの所為か ―――

光一は石の前に立ったまま、動かなかった。

石から視線は外さずに、風に髪を流す。







しばらくして聞こえてくる足音。

遠慮がちに光一に近づいてくる足音は、ゆっくりと光一の後ろで歩みを止めた。









カチャリ ―――







風に流され、その者の得物が光一を呼ぶ。

「……長瀬か……」

「あぁ。」

光一は相変わらず視線を動かさない。

長瀬は小さく溜息をつくと、光一の隣に立った。

その度に日本刀が啼く。




長瀬はゆっくりと石の高さまで視線を合わせると、静かに手を合わせた。

何も言わない光一を横目に、長瀬はゆっくりと日本刀に手を掛けるとその柄を抜いた。

途端に太陽の光が日本刀に反射する。

すらりと伸びる刀身は変わらない。

けれど、その刃は所々欠け、刃先は鋭さを無くしていた。

長瀬は『やっぱだめだった』と苦笑すると、石に向かって大きくその刀身を振り上げ、下ろす。
















刃は小気味よい音を立てて、砕け散った ―――














そこで初めて光一は眉を顰める。

長瀬はバラバラに散った刃の破片に小さく『ありがとう』と呟くと、微かに血に染まった柄と綺麗に折れてしまった残りの刃を

石の横の砂に突き立てた。

日本刀はチャキと最後に小さく啼いて、流れ行く砂によって力をなくし、石に凭れかかる様に倒れる ――


「ええんか。それ、親父さんの形見やったんやろ。」

光一の言葉に長瀬は首を振る。

しかし一度大きく息を吐くと、目を細めて笑った。

「もうどうせ使えねえし。それに折角作った墓石だ。俺にこき使われるより、この人たちと一緒にここで休みたいだろ。」

”なぁ?”と長瀬は日本刀であったものに笑いかけると、そっと石に刻まれた名前を指で辿った。

数人の名前が石に刻まれている。




「剛の兄弟たちに、玲の両親。悠の妹に…俺の両親………あと」




























「………ハルカに…Bとか言う男まで…彫ってやったのか、光一。」

長瀬はたどたどしい手つきで彫られた二つの名前に苦笑すると、黙っている光一へを見上げた。

光一は何も言わずに、石に刻まれた名前へと視線を移す。

「………間違った形ではあれ、剛を生かしてきた奴らやからな……許さへんけど、憎んでるわけやない。むしろ…

 誰よりもハルカは…剛を愛しとったんやと思う。」








光一の言葉は石に当たって吸い込まれた。

































「……それじゃあ、お前はこれからハルカに負けねぇくらい剛を愛していかないと、だろ。リクばぁさんもそれを望んでた。」

長瀬はゆっくり立ち上がると、服に付いた砂を叩く。

そして光一に視線を移して、今までとはうって変わった鋭い眼光で光一を見た。


「剛……お前に伝えたいことがあるって………廃屋のお前の部屋で、待ってる。」


長瀬の言葉に光一は小さく肩を揺らすと、そっと拳を握り締めた。

長瀬はそれを見逃さずに、ふっと表情を崩す。

「安心しろよ。もういきなり”貴方は誰ですか”って聞かれることはないんだし。早く行ってやれって。今まで、待たせたんだからさ。」

光一は握り締めた拳を解き、何も言わずに足を廃屋の方向へと向けた。

そしてそのまま廃屋から視線を反らさずに、歩き出す。

長瀬は遠くなる親友の背中に微笑むと、眩しそうに目を閉じた。

「行ってやれ…剛はお前を待ってるんだ………真っ白な空間でただ一つ、残ってる言葉をお前に伝えるために。」

光一が廃屋の影へと消えていく。

長瀬は目を開けると、空を仰いだ。

「怖いのはお互い様だ。でもそれに勝る言葉を…剛はお前のために棄てないでくれてたぜ。それだけで十分だよな、光一。」






本日は ――― 続く、快晴 ―――
































「光一。剛はお前の部屋だ。行ってやんな。」

「うわ!リクばぁさん!そんな重いもの持つなって!!腰悪くするぞ!!」

大きなダンボールを持って光一に言うリクを悠が慌てて制止する。

しかし悠はダンボールをひったくったはいいものの、彼自身にも大きすぎたようでよろよろと歩く。

「悠、お前も身長的に無理だ。貸しなさい。」

玲はダンボールを取り上げ、光一の部屋へと続く扉を開けた。

「剛、起きてるから。まぁ、状態は相変わらずだけど……どっちにしろ、お前次第だよ。」

玲はそういうと、光一を廊下にやったあと、静かに扉を閉めた。


光一の足音が部屋に向かっていくのを聞き届けて、玲は小さく溜息を吐く。

悠は扉を見つめたまま、ぽつりと呟いた。

「俺、まだ剛のことよく知らないけど…・・・今一番剛に必要なのは、光一だってことは…分かるよ。」

悠の言葉に玲はふっと表情を緩めると”そうだな”と悠に笑いかけた。

「光一のことだ。今は怖いみたいだけど、きっと次にこの扉を開けた時には、剛と楽しそうに笑って、
 
 俺たちでさえ剛に気安く触れなくなるかもな〜。」

今度は玲の言葉に悠が表情を崩すと、”嫌だなぁ〜”と苦笑しながら、部屋の掃除に戻った。

玲は扉の向こうを未だ真剣な瞳で見ているリュウの隣に立つ。

「俺たちが知り合う前から、あの二人は出逢ってるんだ。それに、光一の剛への想いは、重症の剛をあんたのところに

 運んでった時に分かっただろ?どんなに光一が剛を必要としているか、剛が光一を必要としているか。。。」



リュウの脳裏に蘇る、血だらけの剛と、その血に染まった光一。



中の世界―― ハルカたちの居た建物の外で待機していたリュウの前に現れた光一は周囲の奇異な視線を

気にも留めずに、リュウの僅かな医学知識に希望を託してきた。



”俺の身体のどこ使ってもええ!AB型の血がいるんやったら人殺してでも集める!やから…剛だけは助けてくれ!!”



幸いリュウの家にはAB型の血液があったため、光一が人殺しをしてまで血液を集める必要はなかったが。

あの時の光一の形相は、泣きそうなわけでもなく、熱くなってるわけでもなく、かと言って冷静なわけでもない。

ただ剛の命しか、その瞳には映っていなかった。


なんとか剛の治療を終えた後、彼に何気なく問うた後に返って来た答えにもリュウは驚愕した。

『もしもAB型の血がなければ、ホントに他人の命を奪ってくるつもりだったのか。剛をその血で生かせるつもりだったのか。』と。

リュウの問いに光一はいとも簡単に頷く。






”俺は弱いから。殺人犯で極刑を下されるよりも、剛を失って生きてく方が、怖いねん。”






光一の言葉にリュウは光一の剛への気持ちを知った。

けれど、それを知っているからこそ気がかりなこと。




「今の状態の剛を……光一は”剛を失った”とは…思わないのか?もう……戻らないかもしれないと言うのに。」

リュウの言葉に玲は一瞬目を見開くと、小さく笑った。

怪訝そうな目で見るリュウに玲は軽く咳払いをすると、口角を上げた。





「光一が剛を失って生きていくことが怖いように、剛も光一を失いたくなかったんだな。

 剛は…全てを忘れても…光一と共に生きていく覚悟だけは忘れなかったよ…」





遠くで光一の部屋の扉が閉まる音がした。










































女神の壁画の前。

光一はゆっくりとその前に座る人物に近付くと、一度、彼の後ろで立ち止まる。

無言のままぐっと掌を握り、解くとその掌をそっと目の前の人物の肩に置いた。

「……?あ……光一…待っとったんやで?」

僅かな時差のあと、剛は目を細めて嬉しそうに光一の方へと振り返る。

「ごめんな。みんなの墓に挨拶しとこ思って。で…どうしたんや、剛?」

極力剛の耳元で光一は喋る。

「………あんな、ずっとこのへんで引っかかっとたんやけどやっと思い出したことがあんねん。でも…どなんしようかなぁ〜」

剛は楽しそうに笑うと、光一の表情を伺いながらくすくすと笑う。

「何やねん。俺がわざわざここまで来てやったんやで?やのに言わんってのは迷惑な話やな。」

光一もつられたように笑うと、剛の黒髪を撫でた。

剛はくすぐったそうに身を捩り、”子供扱いすんなや”と言いつつも、また笑う。

「光一も玲も長瀬も…悠でさえ僕のこと子供扱いすんねん。悠なんか、僕より相当歳下やろ?

 先輩は敬えって話や。」

剛は不満そうに言うと、何だかぶつぶつと小言を言いながら溜息をつく。

「そりゃあ僕は事故で記憶消えてもうたし、自分の歳もはっきりとは覚えてへんかったけど。悠よりは年上やってことくらい

 考えんでも分かるわ。なぁ、光一?」

「………まぁ、な。でも剛なら悠よりは上に見えても、俺らよりは下に見えるんやないか?」

「えぇっ!!嘘やん!!」

剛は光一の切なそうに細められた瞳に気付かず、1人で頭を抱える。

くるくると変わる剛の表情 ―――

今までにはなかったものが今の彼にはある。

けれど、

今まで彼の中にあった殆どが、綺麗にその姿を消した ―――







腹部に受けた銃弾は剛から大量の血液を奪った。

リュウの僅かな医術とは言えど、的確な治療は剛の命を光一から奪うことはなく、

剛は再び閉じていた瞳に光一を映した。

しかし、大量の出血の所為か、はたまた別の理由があるのか ―――









剛は記憶の全てを失った。










神様は剛の命を光一に渡す代わりに、彼から多くのものを奪っていった ―――



光一はショックしか感じられなかった。

初めはこれ以上ない絶望を感じ、この先の未来すら信じられなかった。

けれど、そんな時に仲間は言う ―――


















”新しい記憶を俺たちで。幸せな記憶をたくさん剛に与えてやることが、俺たちに出来ることだろ?”
















その日から始まった。外での生活。

剛の体調を管理するためにリュウを呼び、リクも連れて外の世界での生活を始めた。

そしてまるで初めてあった他人のように剛に自己紹介をして、接して、ここまで ―――

























「いやっ!絶対僕の方が光一よりは年上に」

「悪いけど、どう考えても見えへんわ。」

「え〜…。ほんまに?」

期待に満ちた瞳で見つめ返してきたと思えば、すぐに不満そうな表情。

光一はくるくると変わる剛の表情に、些か緊張していた頬の筋肉を緩めるとそっと剛の耳元に近づいた。

「んで?早く言いたかったこと言えや。俺、もう待てへんわ。」

「……あ。そっか。忘れるとこやったわ(笑)」

剛は悪戯をした子供のように笑うと、自ら光一の耳元に近付く。



「                           」



剛から囁かれた言葉に光一は瞳を見開くと、驚いたように剛の肩を掴んだ。

剛は小さく声を上げたが、それは肩をつかまれた驚きからのようで、光一の表情を見ると、綺麗に微笑む。

光一はしばらく動けずに瞳を見開いていたが、その瞳から一筋の涙が流れると同時に剛を強く抱きしめた。

そんな光一に剛はくすくすと笑うと”やっぱり僕の方が年上っぽいやん?”と少し赤く染まった頬で笑う。

































光一の耳元で囁かれた剛の言葉は

光一の不安や後悔、全てを拭い去ってしまうほど、強力な力を持っていた。

それはどんな言葉よりも重く

今まで聴くことも言うことも叶わなかった ―――― 言葉。






























「あんな。僕、これから死ぬまで光一と生きてくことにするわ。」
































『愛している』何て、その場の感情じゃない。


ただ『死ぬまで一緒に生きていく』


その言葉だけで伝わる。約束された『永遠』と『愛』


何よりも甘く何よりも重く。何よりも切なく、最後まで散らない言葉の雫。




それは二人、最後の時が来るまで。




決して散らない言葉の雫。




















剛の肩に埋めていた顔をあげれば、光一の頬は微かに濡れていて。

剛はその雫を短いキスで吸い取ると、また微笑む。

光一も安心しきったような、そんな顔で微笑むとゆっくりとその黒い瞳に吸い込まれるように唇を近づけた。

剛は中々目を瞑ろうとしない。

光一はそれに苦笑すると、そっと瞳の上に掌を翳し、剛の瞼を下ろさせた。







そして光一も目を閉じ ―――――


























君の苦しみの数だけ 僕の苦しみの数だけ 口付けを交そう。

深くもない 熱くも無い けれど何よりも深く熱い。

お互いのそのままの体温だけを感じて お互いのそのままの呼吸だけ感じて

ほんの僅かなキスの時間だって

永遠さえあれば いつかは怖いくらいに長いキスの時間となるでしょう?

だから今は瞳を閉じて…

二人の体温が消えて果ててしまうまで ―――




























荒野の砂漠は変わらない。

人の叫び声は絶えない。

命は絶える。










でも唯一絶えない”何か”。








そんなものを見つけるために




















今日も僕らは ――― 生きています。





























(2006.12 修正有)












言い訳★


終わりました〜。長いな、オイってなくらい続きましたね(苦笑)

さて。楽しんで頂けたでしょうか?

あまりに長かったので話が繋がってないところがあると言われてしまえば…すみませんなのですが(汗)

私の伝えたかったこと、皆様に伝わればいいなぁと思いつつ。

今回も自分の文才の限界を感じ、ちょっと反省点もあり。

でも自分的にも皆様の感想などで学ばせていただいたことが多かったです。ありがとうございます!

一応これで『closing eyes〜瞳を閉じて〜』終了となります。

バットエンドかも…とか仄めかしてみましたが、結局こうなります(笑)

まぁ、最初はちょっとバットエンド風味を出しましたけどね(笑)

それでは。今までホントに長編、最後ここまで読んでくださった読者様。お疲れ様でした。